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金元寿子主演作品における共通の法則性についての話その2

去年の今ごろこのような記事を書いていたのですが、
そこから一年が経過し、自分の中で考えが深まったので再度同様のテーマで記事を書く事にしました。

金元寿子主演作品にみる「争いの要因」への法則性


まずここで1つ、この記事を書くにあたって大前提となるのは
「金元寿子主演作品においては、他のスタッフが異なっていようが扱うテーマや結論において一定の傾向が存在する」という点です。
なぜそのような傾向が現れるか、それは分かりません。というか、合理的に納得してもらえる説明ができません。
これが例えば監督や脚本家など、もっと世界観や作品のシナリオに関与できる立場の者の話であれば
異なる作品でも一定の傾向が現れる事があっても何の不思議もありません。
しかし金元寿子さんは声優であり役者であり、その立場であればシナリオに干渉できるとは思えません。
(原作付きで、時系列的に考えれば役が決まる前に完結していて干渉しようがないケースもあります)

何故そうであるのか、その合理的な理由は不明なのですが、
しかし偶然では片付けられないほど傾向がハッキリしておる、
「理由は分からないがそうである」と仮定して話を進めています。


去年の記事では主演作品における共通の争いの要因は何であるのか、
そしてその悪意の傾向について書きましたが、
今回は金元さんが演じるキャラの思想、そしてそれと対峙する相手の思想について考えをまとめました。
今回は、前回のアニメに加えて次のアニメを加えています。

星を追う子ども(渡瀬明日菜)
ガンスリンガーストラトス(片桐鏡華)
ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり(テュカ・ルナ・マルソー)

「星を追う子ども」は2011年の作品なのですがつい最近無料配信を見る機会があって見たため書き加えました。


結論としては一つの明確な傾向が表れており、
秩序や旧習、規律……と言った「法」を守る側が「敵対勢力」に位置しており、主人公がその「法」によらない世界を模索する立場を取る、というものです。
これが驚くほどほとんどの主演作品において当てはめる事ができます。
あるいは「これらの対立概念が存在しない作品」であって、秩序を守る側につく事がほぼありません。


真・女神転生シリーズとは (シンメガミテンセイシリーズとは) [単語記事] – ニコニコ大百科

女神転生シリーズでLAWとCHAOSという概念がありますが、敵対する勢力はLAWの思想に基づいており、主人公がCHAOSの立場に立つ
……と当てはめる事で概ね語る事ができます。


時系列的に古い作品からピックアップしていきます。

まず初主演作品の「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」ですが、物語の終盤において軍部が暴走し、
それで隣国との戦争が勃発しそうになる所をカナタ達が食い止める……というのが最終エピソードとなります。
この時のカナタ達は自分が所属する軍への反逆行動を取り、組織に従わないという立場を明確にしています。

もっとも、軍属の者が上層部の暴走に反逆するのは一種の定番であり、これを特段に珍しい展開であるとは言い難いのも事実です。
あくまで「初主演作品からその片鱗を見せていた」程度で私は捉えています。


その後の劇場作品の「星を追う子どもも」は、
地下世界の「アガルタ」の住民と、そこを訪れた明日菜と森崎との思想の違いが物語の中盤以降クローズアップされました。
こちらは徹底した思想の対立で正面からやり合ったという話ではないのですが、
アガルタの住民は過去の習わしや掟に従う事を重んじ、明日菜達はそれに囚われず自由意志で行動すべきという対になるような構図を描いていました。
この時も主演が秩序・統制に反する側にいるという構図が保たれています。


そして「翠星のガルガンティア」においては、
この秩序と自由の対立概念は文明のレベルに達しており、世界観の中でも深い部分に根差しています。
レドがいた人類銀河同盟は強い統制のされたSF的な管理社会として描かれおり、
一方でガルガンティア、引いてはこの作中の海上の文化は強い自由主義による共存共栄の思想を持つもので、
(続編において陸地の国家は管理社会の性質が強い事が示されたためそれと区別するため「海上の文化」と表現しました)
この2つの文明は作中で何度も対照的なものとして描かれてきました。

金元さんの演じるエイミーが銀河同盟と直接何らかの対立をしたわけではないのですが、
主人公のレドが葛藤するものの多くはこの銀河同盟の思想や立場に基づくものです。
自由主義によってつくられた文明がガルガンティアであり、
レド視点においてはエイミーはガルガンティアの象徴ともなっています。
これがTVシリーズの最終話において、レドが兵士として死ぬ事を決意した所を
エイミーが説得により死なないよう引き戻したシーンによって現れているかと思います。

つまり、「翠星のガルガンティア」においては主人公のレドが
秩序と統制を重んじる銀河同盟と共存共栄の価値観で葛藤し、
最後の最後でエイミーによって後者を選択させた、という構図になっているかと思います。


悪魔のリドル」は一見して秩序や自由の話と関わりがなさそうですが、
これは物語の終盤、一ノ瀬晴の出自や黒組の真の目的が明かされる事で関連を持つようになります。
終盤に晴が人を操る「プライマーの力」を持っている事を確かめる事が黒組の真の目的であり、
黒組を生き延びた事でその力が認められ、一族の次期女王と認められた事が明かされます。
そのような状況下で、これまで晴の事をずっと守ってきた兎角が晴に暗殺予告状を出すのですが、
この時の兎角の理屈としては「自分が晴を殺す事ができれば能力で操られたわけでなく、自分の意思によって晴を守っていた事が証明できる」というものです。

この結末として、兎角は明確な殺意を持っていたし晴にナイフを刺したが、
晴がチタン製の肋骨を持っていたので刃が心臓に届かず一命をとりとめたという今でも話題になる決着だったのですが……
しかし、これによって兎角はプライマーの能力でなく自分の意思で行動していたと証明されたし、
プライマーの力を否定されたので女王でなく普通の女の子として暮らす事になったと示唆をして(ハッキリと明言はされていない)物語は終わりました。

これは兎角にとっては「晴を守ったのはプライマーの能力で操られたためなのか自分の意思なのか」が大きな問題となっており、そして能力によるものではないとの結論に達しています。
晴を殺せなかったのはチタンの肋骨のせいではなくて操られた事で無意識に加減をしたためではないか、という解釈の余地が残されているのがまた憎いところですが……
ここでもこれまで語った他作品同様、何かに従うのではなく自由意志を重んじる結論になっています。
そして晴の立場で考えてみると、能力的にも立場的にも支配する側、絶対的な女王になる可能性を持っていたが、
兎角によって否定されてそれを失った(また晴自身も女王になる事を望んではいなかった)という構図になっています。
つまり晴も兎角も支配する側される側の「秩序」に一度組み込まれそうになり、
それを全て精算したのがこの作品の最終エピソードであると考えています。

ちなみに、この作品の代名詞ともなっている「世界は赦しに満ちている」のフレーズですが、
劇中で晴の暗殺を企てたクラスメートの暗殺者達は全員生存し、放免となっていた事がエピローグで語られました。
これは「世界は赦しに満ちている」をそのまま体現しているし、
また、「報いを与える=自らの裁量で秩序による罰を与える」事を拒否したとの見方もできるかと思います。
作劇的に因果応報を描かなかった事に対しての是非はあるかと思いますが、
それでも「赦し」をメッセージとして貫徹した事は私は評価したいと思います。


続く「純潔のマリア」ですが、これは特に敵対勢力が分かりやすい例かと思います。
天の教会や地の教会と敵対しており、これらはいずれも絶対的な「法」を掲げており、これに与する事で幸福を得られるという考えを持っています。
そして主人公のマリアは、戦争を嫌うと同時に教会の理論とも対立して、人間が自立すべきという考えを最後まで貫きます。
恐らく詳細な説明など不要な内容であり、金元寿子主演作品においてはこのLAWとCHAOSの対立をもっとも苛烈な形で体現していた作品ではないでしょうか。

ちなみに「ガルガンティア」「リドル」「マリア」の三作は、いずれも物語の終盤でバッドエンドに至るのではと最終回直前まで危惧する声がそれなりにありました。
(マリアは原作完結済みであるので、原作既読者からはそういう声は上がりませんでした)
しかしこれら三作は全て最終的にハッピーエンドを迎えており、
「どれほど過酷な世界観でもバッドエンドにならない」というのも金元寿子主演作品の特徴かと思い始めてきたのがこの頃です。


ガンスリンガーストラトス」はやや扱いが難しいのですが……
というのも、この作品は2つの並行世界の対立で、両方の陣営に同じ人物がいるためです。当然金元さんの演じる鏡華も両方の陣営にいます。

しかし管理区の方が主人公として描かれてきており、脚本家も「管理区を主人公とする」と明言しているため、管理区側が主人公であり、フロンティアはそれと敵対する勢力であると捉えます。
(この作品EDが二つあり、Web配信版だと最終話でフロンティアが勝利してそちらが主人公であるかのような描かれ方をするのですが)

そして思想的な部分としては、敵対するフロンティアは争いをけしかけるタイムキーパーの力さえも利用して自分達が支配する事を目標としており、実際にWeb配信版ではその形での物語終わりが描かれました。
それに対して管理区サイドはタイムキーパーを倒した後はそれらの力を使わずに諸々の問題を解決する事を目指していました。
そうすると、非常に微妙なところではありますが、やはりと敵対勢力が秩序を重んじる側であり、主人公がそれに対するものと位置付けてよいかと思います。

余談ですが、元々強い管理社会である管理区が自由主義、個々人の力で生き抜かざるを得なかったフロンティアSが絶対的支配者の君臨……
と、それぞれ自分の世界の実情と反対側の理想を目指していたのは面白い構図だと思いました。
それだけに、作品そのもののクオリティをもっとよくする事は出来なかったのか……と残念でなりません。


そして現行の最新作である「GATE」においては、これはアニメ1期の最終回を見てようやく気付く事ができたのですが、
主人公の伊丹耀司は自衛隊という統制の取れた組織の中において、型にはまらないアウトサイダーとして扱われています。
つまり元より「法」の中にいながらそれに反する立場にいるという事になります。
これは2期のネタバレになるので詳細は伏せますが、
伊丹のこのような「法の中にいるアウトサイダー」の性質が爆発し、そこに金元さんの演じるテュカが関わってきます。
まだ内容は語れませんが、上述を流れを汲むものであるとは言っておきます。


ところで、「主演」ではないのですが、語っておきたい役が2つあります。
それが「スマイルプリキュア!」の黄瀬やよいと、「セーラームーンCrystal」の水野亜美です。

スマイルプリキュア!は極端なまでに自由主義なプリキュアで、
そしてあまり注目されていませんが敵の目標は「怠惰による新しい秩序の構築」です。
それは「努力を放棄して怠惰である事で苦しみから解放された世界」であり、32話でその「敵の理想」は明示されています。
スマプリはそういう「怠惰・諦観」が敵対する思想であったプリキュアです。

本来目指していた敵の理想はそのように「怠惰の世界による新しい秩序」だったはずが、
最終決戦において何故かその要素を全く取り扱わなかったのが大きな問題点なのですが……
ともあれ、スマプリも敵が秩序を作る側で、主人公はそれに相対するという構図を作り上げようとしていたのは間違いないかと思います。


そしてセーラームーンCrystalの水野亜美は……とても悩ましい例外です。
これはセーラームーンを原作準拠で制作した作品ですが、これだと2期目からセーラームーン達が支配体制側に属した展開になっています。
当然、悪との問答も体制側に立っており、むしろ悪側が反体制のレジスタンスであるかのようにも思えました。
(それはセーラームーン側が不老長寿を肯定し、敵がそれを歪みであると非難し、感覚的に敵の方が共感できるためですが)
これについてはあまりにも極端な形で例外的であるため、「主役でない」という事で外すしかないように思えました。


これまでの主演作品を列挙する形となってしまいましたが、
とにかく主演と扱われたほぼすべての作品において法と秩序に基づく生き方が敵対勢力になり、
金元さんの演じるキャラはそれに反する考え方を持つように位置付けられるようになります。
ここまで極端に偏るのはもはや偶然では片付けられなくなったため、
これまでの作品での位置付けについて見直し、情報の整理を行う事にしました。

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズでも主演級として起用されていますが、この役回りは変わらないのだろうとすでに確信しています。

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