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純潔のマリア3話「武器でなく信仰で」感想

純潔のマリア3話「武器でなく信仰で」感想です。


前半はおおむね原作通り、しかし後半からはオリジナル展開に。


前半はエゼキセルの役割や、エゼキエル登場後のマリアの立ち回りについてなど。
鼻持ちならないけどマリアの方が一歩上という事で、難しいバランスをうまく取れているなと。
その辺はマリアもだいぶ似た所がありますが。

回を追うごとにコメディ部分が作画も演技もキレを増してきていて、
これからどんどん発展していくのが楽しみであります。
人間態のエゼキエルを使い魔がフクロウ形態のまま蹴り倒すのが違和感のない絵面で見事でした。
3話に来て、キャラデザが原作よりも優しいタッチにした理由が感覚的に納得できたし、
個人的にはこれは正解の一つであったという風に思っています。


後半は作品舞台である中世フランスにおいて、
マリアを取り巻く環境としてガルファの再登場、そしてベルナールとケルヌンノスの登場。
エゼキエルやベルナールの登場は分かっていましたが、ケルヌンノスは事前情報がなかったため、
まさか同じ3話でさらに新しいオリジナルキャラが出てくるとは思わなくて驚いています。

wikipediaによるとケルヌンノスとは狩猟と冥府の神という事であり、
世の理の中で原初的な弱肉強食の面を語らせる役回りなのでしょう。

天上の教会(ミカエル・ヤハウェ)はキリスト教的な神の秩序。
地上の教会(ベルナール)はキリスト教的な俗世の秩序。
古の神(ケルヌンノス)は原初的、自然的な弱肉強食の秩序。

作中で繰り返し言われている「世の理」というものについても立場ごとに意味が異なっており、
世の理を多角的に描いていく予定なのかと思われます。
また、マリアはそれらのいずれの立場とも折り合いがついておらず、
どの立場においても「世の理を乱す者」という評価を下されています。

マリアの介入により傭兵が稼ぎ損なうというマリアの意図しない側面も描いている事もあり、
すでに原作よりも風呂敷を広げる意思が十分である事が伝わってきており、
果たして最後畳む事ができるのか怖くもあり楽しみでもあります。

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