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仮面ライダー鎧武 DJサガラの総括

仮面ライダー鎧武が本日、最終回を迎えました。
ここで、作中の登場人物「DJサガラ」について考えてみました。


本当はもう少し番組全体の広い総評を行う予定でした。
しかし、作品の道義的な面、構成上の面での問題点を考えてみると
その多くがサガラに起因していると気付きました。
それらをまとめてみると書き連ねる内容が多くなり、
一度話題をサガラに絞った方がいいと考えてこのような記事にしました。


DJサガラがどのような人物であるかを簡単におさらいすると。
最初はビートライダーズを紹介する番組のDJとして登場しますが、
後にユグドラシル、さらにはヘルヘイムに住むフェムシンムとも関わりがある事が判明します。
最終的にヘルヘイムの意思が具現化した存在であり、
宇宙の様々な種族に進化を促す事を目的として侵食を行っていたと説明されます。


私がDJサガラについて問題であると思うのは、
サガラの行っている行動はほぼ「悪」と断定してよいにも関わらず彼に対する勧善懲悪が機能しておらず、
これによって作中の善や正義についての説得力を大きく削いでいるという点です。
サガラが悪行がどのようなものか、作中の描写をまとめると次のようなものになるかと思います。

・ヘルヘイムの森による侵食を行い、人類を滅亡に追いやった
・争いに勝ち残り、進化を果たした紘汰に対して
 旧人類を滅ぼした上で新たな世界を作るよう誘いをかける(ただしこれは紘汰が断ってる)
・フェムシンムの民(オーバーロード)に対しても同様に森の侵食を行った
・人類の争いが終結後、別の種族に対しても同じく森の侵食を開始する
・フェムシンム以前にも侵食を行っていたと推測される

宇宙規模で複数の種族を滅ぼす行動を続けているので、
劇中においてもっともスケールの大きい、最大の元凶と呼んでよいかと思います。
ただし、劇中においてはこれらの行為を悪とは認識されておらず、誰からも糾弾されていません。
目的のために犠牲を出す事は悪であるという正義の定義づけは一度作中でされており、
そのためにユグドラシルや戒斗が悪と見なされていましたが、サガラは最後まで例外扱いをされました。

他の登場人物はおおよそ勧善懲悪、信賞必罰のルールに従った結末を迎えています。
単に主要人物の大半が死亡したり、絶望的な窮地に追いやられただけな気もしますが、
これらの中において、最後まで追い詰められる事もなく、己の行動を省みる事もなかったのがサガラです。


また、主人公の紘汰が物語上の元凶であるサガラと仲が悪くない……どころか、
むしろ強化アイテムを授かる立場にいた事も「正義」の印象を損ねているように思います。

仮面ライダーシリーズでは「敵や悪と同根、または類似の力を得て変身する」
という一種の伝統があり、分かりにくいシリーズもありますが
鎧武においてはこれは分かりやすく実現されています。
多くのライダーが使っていた戦極ドライバーは
「悪の組織」ユグドラシルにおいてマッドサイエンティストの戦極凌馬が開発したものであるし、
紘汰が後半使っていた専用のドライバーはサガラから渡されたものです。
しかし、元凶から「授かる」という形で強化を進めていくライダーはあまり記憶にありません。
去年のウィザードもそれに近い形を取っていましたが、
それでも最終的にはワイズマン=白い魔法使いをラスボスとして決着をつけました。


このように紘汰とサガラの決して険悪ではない関係はずっと続き、
最後にある程度の対話をした後に別れます。

この時、前述したように一度旧人類を滅ぼす事を持ちかけられて、紘汰はそれを断っています。
ただし、提案を断るのみで特に憤ったり、彼の行動を止めるする様子はありませんでした。
さらにその後サガラが別の星の種族に対して侵食を始める様子が描かれますが、
私はサガラを止めなかったために次の犠牲が生まれる以外に解釈ができませんでした。

紘汰は「犠牲を出させない事」を己の正義としていて、
それはなかなか結実しなかったのですが、
最後の最後になってサガラと敵対せず、自らそれを放棄する事になったのですから。


なぜこのようにサガラが大悪事を働いたにも関わらず報いを受けなかったのかというと、
私は「サガラの行動が悪であると制作スタッフが最後まで認識しなかった」しかないと考えます。
少しでも悪だと理解できていれば何らかの「悪党」としての扱われ方がされるはずですが、
そういったものが画面から一切感じられませんでした。
劇中の他の悪人はおよそちゃんと悪人らしく扱われ、悪人らしい最期を遂げた中、
サガラのみ全くその様子がなかったのは作品上の大きな歪みかと思います。


作中においてはいくつもの種族を滅亡の危機に追い込む元凶になり、
メタ的には紘汰(引いては作品全体)の正義を揺るがせる要因となり、
二重の意味で最大の悪となってしまったのではないかと思う次第です。

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  • 初めまして。
    賛同できる部分の多い興味深い記事だと思ったのでコメントさせていただきます。

    DJサガラについての問題を解決するには最初から、或いは途中からでも紘汰達と同じ土俵に立たせる必要があったと考えます。その手段としては、
    1.紘汰が黄金の果実でオーバーロード程度に留まらず、サガラと同格の存在になり凌駕する
    2.サガラと同列のヘルヘイムの代弁者を複数用意し、人間同様の主義主張のぶつかり合いをさせる
    3.ヘルヘイムをただの悪の組織へとスケールダウンする
    等が挙げられるかと思いました。
    要はサガラのステージに立つか、同じステージに異なるサガラを複数立てるか、低いステージにサガラを降ろすかですね。
    結局、彼が唯一無二の超越者の存在であることに原因があると思うので。
    拙いコメントとなり恐縮ですが、失礼します。

    Gyacko

    2014年9月29日

  • 私としてはサガラに対する製作スタッフの意識については逆だと思います。
    というのも、以前straysheepさんがニチアサ三作品について語った際、鎧武について述べたように「鎧武の世界は性悪説に基づいている」と思うからです。
    つまり、「DJサガラ(ヘルヘイム)は悪そのものであり、超越した存在であるがゆえに倒せないが、逆らって善の道を進むことはできる」と言う風に表現したかったのでは?というのが私の思うところです。

    鎧武で描かれていた「正義」は大きく分けると
    「間違った道に走る人は、そのことに気づけるならやり直させる」
    「犠牲のもとに目的を達成させることは認めない」
    の二つです。
    この両者は「積極的に力を持って相手を制すれば達成できる」というものではなく、「確実に存在する悪から離れる」という消極的なもので
    いずれも性悪説的な世界設計の元、生まれた「善」「正義」であると思います。

    ただ、こう考えると別の問題が生まれます。
    第一に「子供向けのヒーロー像として性悪説で考えるのは本当に正しいのか」という点。
    個人的には平成第1期の井上敏樹氏や、仮面ライダー原作者の石ノ森章太郎氏の「正義」にはそういう部分があると思っているので否定はしませんが。
    ただ鎧武の場合、紘汰は序盤から性善説の立場にいる(と思われる)人間として一貫しており、そのせいで主張が口先だけの印象を受け、
    最終的に性善説で世界を守れなかったため性悪説に走ったという形になっているとも取れますが
    これは「自分の主張が最後まで通せなかった(正義の敗北)」とも、「今までの自分を変えて成長した(正義の勝利)」とも解釈出来て微妙なところです。

    第二に、DJサガラが絶対的な悪としては「弱い」という点。
    サガラは様々な特殊能力を発揮していましたが紘汰たちが直接ぶつかり合う場面はなく、力のほどがはっきりしません。
    同じ脚本家の「魔法少女まどかマギカ」で同様の役割だったキュウベェは、少なくとも「人類の技術や魔法少女では対処できない」レベルなのははっきりしていました。
    せいぜい「人類よりも技術と力がある知的生命体」でしかないはずのキュウベェ(鎧武で言うとオーバーロードぐらいの地位)に対して
    「まどマギ」で言うアルティメットまどかに相当するレベルの「概念」であるはずのサガラはそれよりも強そうとも思えないし、絶望感も感じません。

    第三の問題は、第二の問題とも通じますし記事の考えとも一致しますがやはり「紘汰が結局最後までサガラに敵意を向けなかった」点。
    正体がわからない序盤はともかく、終盤(特に46話)でサガラを明確に「悪」と断定するなりあるいは「敵」とみなすべきだったと思います。
    (まあ、紘汰は「犠牲を強いるルール」を悪と認識しているので語る必要がなかったのかもしれませんが)
    そして「犠牲を強いずに進化した生命の新天地へ向かう」という形で一応の「正義の達成」はしますが、紘汰がやったのはそこまで。
    後にサガラが向かった世界についてどうするのかの対策は全く講じませんでした。
    次の世界で選ばれるのは紘汰のように犠牲を認めない人間とは限らないはずなのに、ほったらかしです。

    最終話では紘汰は少女を人質に取るコウガネを念力で引きはがすことで犠牲を出さずにコウガネを倒しました。
    が、サガラについてはやっぱり放置。
    「自分の世界しか頭にない」のか、「悪に惑わされるかは個人の問題なので次の世界に自分が関わるべきではない」とでも考えているのか、それすら謎です。

    まとめると、「犠牲を強いるルールに反抗し、変えるヒーロー」としての紘汰は最終回時点で「それができる力を持った」だけでしかありません。
    つまり、「本当の戦いはこれから」のはずなのに、鎧武はそれがまるで終着かのように描かれていたと思います。
    紘汰の正義は敗北続きだったことに加え、最終的に「戦いに挑めるレベルに達した」だけでは、落ち着かないのも仕方がないと思います。

    長文失礼しました。

    way-oh

    2014年9月29日

  • Gyackoさん>
    初めまして、コメントありがとうございます。

    サガラに並ぶ存在が最後までいなかったし、
    誰も彼を引きずり降ろす事ができなかったのが鎧武の大きな問題点だと思いますね。

    作中でそのような方向に転換する機会は何度かあったとは思うのですが・・・


    way-ohさん>
    果たして制作スタッフがサガラを悪と認識していたか、というのは凄く答えに迷うところですね。

    他の悪党、あるいは悪事を働いた者に対しては
    それを「悪」と認めた上での描写をしているのですが、
    唯一サガラのみそれを認めてる様子さえないです。

    あれだけ「犠牲を出す事を悪」という定義付けを何度もやってて、
    それで他の登場人物の「悪」にはちゃんと正面から向き合っているのに、
    サガラだけそれを全く認識できないというのがありうるのか? 
    というのは疑問であるし、
    「滅ぼせない類の悪」だと思っていたとしても
    誰も敵対しないまま終わるのはやはり後味が悪くなります。

    紘汰は最終回でようやくヒーローとしての力を手に入れたに過ぎない、
    というのは考えなかった視点でしたが凄く納得しました。

    straysheep

    2014年9月29日

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