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アルノサージュ インターディメンドによってもたらされるユーザ体験

前回に引き続き、
アルノサージュのインターディメンドに関わる考察です。
この先も本編のネタバレが多く含まれます。


さて、アルノサージュではこのようにインターディメンドによって
デルタとアーシェスという登場人物を「プレイヤー」が
操作しているというのを明確化しているのですが、
ではそれによってアルノサージュの世界に自由に干渉できるかというとそうではありません。

そもそもアルノサージュのゲームジャンルはJRPG以外の何物でもありません。
ジェノメトリクスなど独自の要素はありますが、
全体のゲームデザインは典型的なJRPGです。

また、ストーリー自体は一本道であり、若干進める順序が入れ替わる事はあっても
どのように物語が進み、どのように情勢が動くかは決められています。
(当たり前だが、この他に「ゲームを途中でやめる」という選択肢は与えられている)

インターディメンドを利用して2人の主人公の知識共有が役立つ局面はありますが、それもシナリオの一部です。

インターディメンドを悪用して悪事を働いたり、
話をおかしな方向に転ばせる事はゲームシステム上できなくなっています。
アーシェスが選択肢でおちゃらけたり、
あと、シュレリアとのエンディングがあったりはしますが、
度を過ぎると即ゲーム終了するようになっています。


では、プレイヤーが干渉している事を明確化しているのに
プレイヤーが悪事を働けないのは片手落ちのゲーム設計かというと
それに対する答えが用意されています。

それがゲーム中のラスボスに当たる、
「インターディメンドしているもう一人のプレイヤー」です。
もう一人のプレイヤーはアーシェス達とは別の目的で動いてて、
世界を滅ぼす事を辞さないつもりで暗躍します。

ただし、その「もう一人のプレイヤー」の最終目標は
ミッションを達成すること、つまり「ゲームをクリアすること」それ自体にされています。
劇中で出てきた断片的な情報を繋ぎ合わせるとこの「もう一人のプレイヤー」は

「アルノサージュのプレイヤー(=あなた)」とは異なる目的設定がされていて、恐らくゲームの自由度もずっと高い。
この世界をゲームと見ているがゆえに生命と認識していなくて、犠牲を出す事に躊躇いがない。

という位置付けにあると推測しています。
これは道徳観の欠如した悪党などではなくて、
むしろゲーマーなら理解できるプレイスタイルの一つなのではないでしょうか。

また、これはインターディメンドしているにも関わらず
悪事を働けないゲームシステムになっているために、
悪事を辞さないプレイスタイルの別プレイヤーが敵役として成立するとも言えます。

「もう一人のプレイヤー」のスタンスはある意味一つの典型的なゲームとゲーマーの距離感です。
典型的なゲーマー像を敵に設定するという事は、
「プレイヤー」にそのようなゲーマー像を憎み、決別するよう促してもいます。
このラスボスはゲーム上はそんなに強くないのですが、
「登場人物にラスボスを倒させる」のが目的ではなく、
「プレイヤーにこのゲーマー像を敵と認識させる」のが目的であり、
最終戦前のやり取りで存在意義を達成しているので弱くも構わなかったのだと思います。
実際にゲームでここまで辿り着いた人なら
そういう狙いがあってこのような演出にしたと理解できるのではないでしょうか。


「ゲームを操作しているプレイヤーへのアンチテーゼ」という位置付けのラスボスは正に前例がないのですが、
このような特異なラスボス像が実現したのはガストの「ラスボスに対するスタンス」と無関係ではないと思います。
ガストはアルトネリコシリーズ・サージュコンチェルトシリーズといった土屋D作品の他に
アトリエシリーズを毎年制作しています。
そのアトリエシリーズは調合がメインの作品で、
典型的なRPGのような「世界の破滅を目論むラスボス」が必ずしも存在しません。
中にはそのようなラスボス像に行き着いたシリーズもありますが、
ラスボスが存在しなかったり、世界を救うためというのとは別の理由でドラマを作りだそうとしたり、
ラスボスの存在意義についてはずっと模索をしてきています。

この姿勢はアルトネリコにも引き継がれていて、
3作ともラスボスとの最終戦は「対話・和解」を行う事を軸にしています。
そして最新作のアルノサージュにおいて、
ラスボスの存在意義に新たなる提示をしたと言ってよいかと思います。


また、「ゲームを操作しているプレイヤーへの呼びかけ」は最後に急に行われたわけではなく、
物語の中盤あたりから徐々に差し込まれるようになってきます。
デルタとキャスからは「プレイヤー」に対して協力を求められるし、
イオンはジェノメトリクス後半で文字通りに次元の壁が存在している事に対する慟哭するシーンがあります。
前述のラスボスの存在意義、そしてこのようなプレイヤーへの呼びかけの演出の数々、
これらは全てゲームをゲームとしてプレイする当たり前の価値観に揺さぶりをかけて、
プレイヤーにゲームとの通常の距離感を逸脱させる事を目的としているのでしょう。

「ゲームプレイヤーにゲームとどのような姿勢で関わらせるか」という事が
サージュコンチェルトシリーズの大きなテーマの一つであり、
シェルノサージュはバグや配信延期など周辺事情のトラブルが相次いでコンセプト実現どころではなくなりましたが
アルノサージュに至って一つの答えが結実したと言ってもいいのではないかと思います。
ゲーム中の様々な細かい要素がこのテーマに沿う形で配置されており、
作品全体で一貫したメッセージを持つようになってます。


とんでもない未知の領域に挑戦し、
そして本当に形をなした土屋D、そして関わったスタッフの皆様に敬意を。
ゲームの新しい可能性を示した作品を楽しませてもらいました。

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