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ガルガンティアの物語のスケールダウンについて

ガルガンティアが中盤まで放送され、
これからどのような方向に向かうのか
重要な分岐点に来ているためちょっと思う所を記事にまとめてみます。

今月の頭に「翠星のガルガンティア」のシナリオ面にも関わっている
海法紀光氏がこのようなツイートをしました。




この一連のツイートは物語で扱うテーマがどんどん大きくなって
インフレを起こしていく事に疑問を呈する内容なのですが、
ガルガンティアもこのインフレ以外のアプローチを模索した作品ではないかと思います。


ガルガンティアのここまでの展開を振り返ってみると。
まず1話で苛烈な宇宙戦争が描かれ、多くの犠牲者が出ました。
(劇中では数字は出てませんが上映会での話によると10万人規模の犠牲者が出ているとの事)

それから2話では海賊との戦いがありましたが、レドが一方的に殲滅するだけで終わりました。
死者の人数もせいぜい数十人程度で、確実に規模は小さくなっています。
1話と2話を比較して、2話の方が戦闘が激しくて犠牲者が多いと感じる人はまずいないでしょう。
また、2話のラストでチェインバーの強さに恐れおののくエイミーを映しており、
次回以降も殲滅を続ける事は予感させないようにしています。

そして3話では海賊が集結して攻めてきますが、
ここでは戦闘の軸に「レドが不殺を理解し、完遂するか」が加わります。
画面を見る限りアレで一人も死者を出していないと考えるのは厳しいようにも思いますが、
レドが人を殺さないまま敵を追い払えるかが焦点の一つになっており、
ここで戦闘や報復の連鎖は一度断ち切られています。
戦闘のインフレを是とする作品であれば、
海賊との争いの規模を大きくするために禍根を残す流れになったのではないでしょうか。

7話ではクジライカ(ヒディアーズ)と一触即発の事態になりますが、
ここでは話の主軸は船団社会とレドのアイデンティティのあり様になっており、
今後ヒディアーズとの戦闘が激化する展開とは限らない事を匂わせています。

1話を除いてこれらに共通するのは、
際限なしに戦闘のスケールを大きくする事には消極的であり、
また、「今後戦闘が激化する予感」を感じさせる要素を排除している事です。

この世界の秘密に触れる部分ではどうしても
話の規模を大きくせざるを得ないでしょうが、
それ以外の点では物語をスケールダウンする事を狙っているのではないかと。


このようにスケールダウンを意図的に試みる作品は時たまあらわれ、
最近のアニメでも思い当たるものが2つあります。
それが「琴浦さん」と「輪廻のラグランジェ」です。

「琴浦さん」は超能力が原因で過酷な過去を持つ少女の話ですが、
話が進んで過去を乗り越えるにつれて作劇的にはおいしい
苛烈な部分が鳴りを潜めるというジレンマがありました。
個人的にはかなりうまく折り合いをつけて表現ができたとは思いますが、
それでも話が進むと特殊性やケレン味が失われる問題があって
スタッフはこのようにテーマのスケールが小さくなっていく中
どうやって話を組み立てるか苦心していた印象があります。

「輪廻のラグランジェ」はロボットものだけど戦闘がメインじゃないという触れ込みであり、
ウォクス(主人公の機体)の封印が早いうちから話の軸になっていました。
第二クールでは途中で各勢力の和平が一度成立するほどで、
確執や恨みが掘り下げられる形では話が進みませんでした。
しかしこれは本来ロボットアニメが盛り上がる方向とは正反対であり、
このコンセプトのミスマッチが最後まで足枷となっていました。
(それでも一番最後には地球全てを巻き込む大規模な争いになりましたが)

他にも諸々の要因が重なって作品自体は成功したとは言えないのですが、
それでも単純なスケールアップ以外の道を模索した作品には違いないと思っています。


スケールダウンはエンタメ的には盛り上げにくい手法なんですが、
平穏へと向かう物語としては決しておかしなものではないです。

インフレと比べて盛り上げるのが難しいだけに、
ガルガンティアにはこのまま突き進んで
スケールダウンがうまくいった成功例として名を上げる事を期待しています。

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