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翠星のガルガンティア 2話「始まりの惑星」感想

翠星のガルガンティア 2話「始まりの惑星」感想です。


前半は両者が出方を伺って固まった状態となるもの。
基本的には画面上に目立った動きがなく、
ずっと膠着状態なのに面白さを維持できているのはなかなかに見事。

この中で魚の干物を使って交流を描くのはうまいチョイスだよなと思った。
あの時の反応でレドのこれまでの食事がどういうものか大体推察できるし、
エイミーの良く言えば素朴さ、悪く言えば色気のなさが見えるようになっていた。

後半は一転して海賊の襲来、そして過剰防衛でレドが海賊を殲滅してしまうという引き。
ここの凄いところは、初見では問答無用で殲滅した事に衝撃を受けるのだけど
ヒディアーズとの戦いやチェインバーを殲滅兵器と呼んだことなど、
思い返すとちゃんと伏線が張ってあってレドの行動としては自然なものになっている事だと思う。

全員がその時点で考えられる最良の選択をしているのに
それが悲劇を生むのは実に虚淵氏らしく、
その事に説得力を持たせられるのは構成が巧みであると感じました。
(今回の脚本家は虚淵氏ではないのですが)

また、今回はレドの見せ方がゲームの「沙耶の唄」を彷彿とさせるものでした。
海賊が現れる前まではガルガンティア船団の人々との歩み寄りを描き、
それは実際少しずつでも実を結んでいるように見せていました。
そこから「敵」である海賊が出てきて、
敵は殲滅するものという価値観に従って一気にひっくり返しました。

この前後でレド本人の本質は全くブレておらず、
ただ敵と認識する存在を捉えているか否かというところにしか違いはありません。

共感が得られそうで歩み寄りができそうと思わせる描写と、
狂気的・暴力的で相容れないと思わせる描写を交互に織り交ぜるのは
沙耶の唄の沙耶の描写で使われた手法で、
特異性を浮き彫りにすると同時に素早く
虚淵氏が好むやり方なのかなと思ったりしました。


1話と2話で続けて死人は出ているのですが、
それの見せ方がこれまでの虚淵作品とは違う形になっているように思います。

1話では全く姿や声が画面に映らないままにボロボロ撃墜されたり、
あるいはレドが何とか助けようとした相手も
通信音声が小さくなっていく形で演出しており、
死ぬ間際の断末魔はほとんど聞き取れなくなっています。
2話の海賊も訳が分からないままに蒸発させられてます。

死を覚悟した恐怖の表情、あるいは絶命した苦悶の表情、
大量の出血、弛緩した肉体、断末魔の叫び……
「死」を演出する方法は色々ありますが、
1話、2話ではこれらの「死」の演出に当てはまらない形で死者を出しています。
これは死者は出しても演出上その「死」にフォーカスが
当たらないようにかなり気を遣っているという事ではないかと。
事前にインタビューで言っていた「今回は誰も死なない」
を裏付けるものでもあるかなと思います。

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