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土屋暁 人物考

シェルノサージュ1章完了記念にまとめてみました。


というのも、土屋氏の主導する企画は毎回
本人の価値観や趣味嗜好を色濃く反映させたものであるので、
現在進行中のシェルノサージュを考察する上でもヒントになるかと思ったためです。
実際、作品考察する上で「土屋氏ならこう考えるだろう」という
予測に基づいた予想・意見もよく見かけますし。

私自身もアルトネリコやシェルノサージュについて話をする時、
「土屋氏なら……」という言い方をよくしています。

今回のエントリはそうやって仲間内で出てきた話も織り込んでいます。


世界観先行


土屋氏を語る上でまず絶対に外せないのがこの特性です。

「背景の世界観」「キャラクター」「本編の脚本そのもの」
にシナリオの要素を分けると、土屋作品は毎回世界観に偏って力を注いでいます。

これはキャラクター小説の書き方の本に書かれていた分類法です。
元は「その三要素ごとに別の担当を立てるのが作品作りにおいて望ましい」という主旨でしたが、
非常に分かりやすいので私はこれを作品考察の際の視点として使わせてもらってます。


まずは先行して世界観を作りこんで、
残りの要素を後から加えていくのが土屋氏の制作手法です。
世界観をあまりに精密に組みすぎるため、
アルトネリコでは脚本が追いつかない事がよくありました。
「本編で使われなかった死に設定」「本編だけでは分からない舞台背景」
が生まれてしまうのはこのためでしょう。

それ自身が良いとも悪いとも断じる事はできませんが、
脚本が持て余すほど世界観を作りこんでしまう癖があるというのは一つの特徴かと思います。

シェルノサージュにおいても世界観先行の作りをしているため、
まだ見えていない所まで作りこまれているという期待を持てる一方、
今後の脚本で設定を活かし切れない事になる可能性は十分にあるかと思います。


ユーザ参加型コンテンツへの関心


以前からユーザ参加型コンテンツや、ユーザとの対話を
非常に重視する考えを持っていたクリエイターであり、
これもやはり土屋氏を語る上で重要な要素かと思います。


アルトネリコの時はあくまでゲームジャンルがRPGだったため、
ゲーム本編にはそこから大きく離れたゲームデザインを取り入れられなくて
その分サイドコンテンツで色々展開していました。

アルポータルやトウコウスフィアなどの企画はユーザ参加の色合いが強く、
アンケートやQ&Aもかなり積極的にやってきています。

まず世界観を作り込む性格とユーザ参加企画への関心が合わさって、
考察好きな人を呼び込む下地を作ったのではないかと思ったりしています。


新シリーズであるシェルノサージュでは
根本のゲームデザインからソーシャルの要素を強くしてきているため、
ある意味本当にやりたい事に近付いてるのかなと思ったりしています。


管理社会


土屋作品においては管理社会的な発想が
世界観に反映されており、これも特徴であると思います。

極端な管理社会をディストピア、
またそれを題材としたものをディストピア作品と呼ぶ事がありますが、
土屋作品では登場人物が管理社会を対峙するべきものと捉えていないあたり、
旧来の典型的なディストピアとは描き方が少し違います。


ミュールのレーヴァテリア実現の話や、
ハイバネーションによる悲しみのない世界など、
物語上急激な社会変革を狙うものを敵とするは珍しくはありません。

そういう物語上の敵の目指す物とは別に、
敵ではなくとも非人道的な事をよくやっています。

ミュールは囚われていた頃は兵器と扱われていたり、
大鐘堂はIPDを集めてたりクローシェに実験していたり、
アルキアとクラスタニアの対立では
どちらも管理社会的な志向が強い国家として描かれていたり。

シェルノサージュにおいても、
1章にして政府が焼き払われる市街地を見捨てようとしたり、
特典CDでイオンが囚われて実験されていたり、
断片的ながら管理社会的描写はされています。

何らかの目的のために人権を軽視して
対象を管理する発想が頻繁に出てきます。
しかもそれを物語上の悪と捉える事があまりありません。
あるいは悪と捉えても深くは踏み込まない。


ある意味非常に冷徹な価値観であり、
土屋作品では常にこの価値観が浸透しています。
アルトネリコやシェルノサージュでは世界の滅亡が間近という世界観が共通しており、
そのような極限状態にあれば為政者は管理社会の方向に進めるというのは
土屋氏の中で揺らがない結論なのかもしれません。


私は考えた結果アルトネリコやシェルノサージュは
物語が社会にフォーカスしていないため
ディストピア作品ではないという結論に至ったけど、
ここは人によっては捉え方が違うかもしれません。


余談ですが、アルトネリコ3のシナリオの評価が低いのって、
土屋作品固有の管理社会の色合いが強い一方で、
人間の管理社会の枠組みの外にいる神性(星の意思)も重要な要素となっており、
この2つの軸が噛み合わないまま話が進んだため
話が散漫なものになってしまったのではないかと。
「管理社会」というキーワードが思い浮かんでようやくこの事に気付きました。


女性観


アルトネリコ1~3、それからシェルノサージュと、
作品での女性観を見ると一貫してて全くブレていないかと思います。


一言で言ってしまうと、
迫害されているヒロインとそれを救い出す話が大好きというものです。

アルトネリコ1ではミシャが囚われのヒロインであったし、
アルトネリコ2では御子と崇められていたクローシェが実はお飾りで、
祭り上げられただけだったと判明するし、
アルトネリコ3ではヒロインが全員残り寿命わずかで、
しかも命を賭ける使命を持っているというもの。


この辺、上述の管理社会的な要素と相性が良くて、
毎回ヒロインが「管理される側」になるのも本人の女性観なのかな、と。

これらは典型的なヒロイズムの物語であり、
男性の普遍的な欲求だという突っ込みを仲間から受けた事がありますが、
毎回のように強く作品に反映させるのはやはり特徴的かと思います。
後は、一般的な観念から言えば「度を過ぎて」過酷な設定にしたがる所も特徴ですね。


まとめ


クリエイターとして明確に強い個性があり、
そしてそれが作風にも分かりやすく反映される人には違いないかと思います。

バランスのいい作品作りをあまり考慮しない人で、
長所と短所で極端な偏りが生まれるのも特徴かと。
(また、それゆえにマニア人気を獲得しやすい)

また、とにかくユーザ参加企画が好きで、
シェルノサージュもそれを実現するための設計になってはいますが
まだ不十分なのでその辺りのアップデートや企画は
何回か打ち出してくるんじゃないかと思っています。


……なんか、長く書いた割には締めが普通になってしまった(´・ω・`)

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